___________眠らない街




眠らない街とは良く言ったものだと、
この街を知る女たちは皆、声を揃えて言うだろう。

眠らない街___
いや、眠る事さえも、許されぬ街なのだと。

数多く犇めき合うこの歓楽街の頂点に君臨する女を、陽炎といった。
陽炎は二年前にこの街の女の牢屋に踏み入れてから、
嘗てない速さで頂点へと上り詰めた女だった。

その風貌といえば、美しく靡く艶やかな黒髪が、
光を反射して輝いて見える、傷一つ無い白い肌に栄え、
誰が見ても一度は息を呑む妖艶な色香を漂わす女だった。
少し釣ったような眼を伏せては、その長い睫毛が頬に影を作り、
横目で男達を見渡しては、形の良い唇に被せた紅を潤わした。
格子の前に群がる幾人の男達のほとんどは、陽炎の美しさに惑わされ、
他の女たちでさえ、目を奪われて遠ざけていたという。
彼女に触れる一度の夢を叶えようと、浅ましく吼えた男達だが
陽炎はいくら金を積まれようと、自分が気に入った男しか相手にしなかった。
男たちの中にはその気の強さでさえ堪らぬ、といった様子で
ただただ、彼女の姿を見たいという輩も少なくは無かった。
「陽炎ねぇさん、冷やかしだけでしたら、奥へ行ってくださいまし」
「ねえさんがいると、私らの仕事になりません」
そう言われ、陽炎は満足したようにくすり、と笑いを零し
言われるまま奥部屋へと消えた。
今宵は月が覆われている。
その光さえ、女たちが捉えられているこの牢屋を照らす事を避けた様に。
「まるで私が悪者扱いね」
呟いた陽炎は、夜見世着を脱ぎ、幾分軽装である着物に着替えた。
ここには私がいる場所なんてありゃしないんだから。
大層いい扱いだわ。
自然に漏れた溜息を付いた陽炎を、部屋の壁に立てられた
姿見が容赦無く映し出す。
定まることなく空を彷徨った陽炎の目に、一瞬、ヒュッと音と
最早線としてしか捉えられない光が映った。
その光が、鉄格子の張った窓から差し込んだ僅かな月の光を
反射した小刀が見せたものであったと陽炎が気付いた瞬に
陽炎の部屋は、主の居ない静けさが寂しそうに残ったのだった_____


血の味が口の中いっぱいに広がって、陽炎は胃の底から
湧き上がる不快感で目を覚ました。
自慢の美しい黒髪は乱れ、陽炎の視界の影を増やしていた。
う、と苦しそうに呻いては、後ろに回され自由を奪われた両の手に
何か擦り切れるような痛みを感じた。
しかし、それ以上に鳩尾を思い切り殴られたような痛みに
その美しい顔を歪ませた。
「おい、早くしねえか!」
頭を下に垂れた状態で、頭の上に男の興奮し掠れた声が響く。
うるさい、黙りな!
そう思い切り叫びたかったが、どういう訳だか声が上手く出ない。
ああ、そうか。
痛みで気が付かなかったが、陽炎は口から声が漏れぬように、
鉄臭いごつごつした男の手で封じられている。
恐らくは、殴られたのと、口を封じたのはほぼ同時。
口内に充満する鉄の味はわたしのものか。
「陽炎だぜ・・・本物だよな・・・」
臭い息を荒立たせて陽炎の髪ごと引っ張り上に向かせた。
陽炎は美しい顔を更に歪ませ、薄めで男たちを見た。
もう何日も洗っていないだろう、泥と汗まみれの濃茶色の衣を着た三人の男。
普通なら陽炎がまず相手にしない男たちだ。
「おい、乱暴に扱うなよ。傷付けるんじゃねぇぞ」
「わかってらぁ」


人の気配の無い路地だった。
陽炎は冷たい板を背に、意識を取り戻そうと必死だった。
目の前には、逸る気を抑えようともせずに男たちが
聞き取り難い声を早口に荒げている。
「お、おれ!もう堪らねぇよ」
「うるせぇ!俺が先だろうが!」
ああ、あたしはここでこんな汚いやつらの遊び道具になるのか。
じわりと涙が滲む。悔しさと嫌悪さで頭の中がぐちゃぐちゃだ。

嫌だ
嫌だ
嫌だ

その時、陽炎は今まで自分が如何に生ぬるい世界で
生かされていたのかを痛感した。
遣りたい事だけやって、少しでも面倒な事は嫌だ、と軽く言い捨てた。
あの格子の中で、それが当たり前のように振舞う女だった。
男の一人が口の端を吊り上げてこちらを見た。
どうやら討論していたのは自分を抱く順番だろうと、思った。
ああ、あたしは今やここでこんな様だ。
途端、恐怖という感情が陽炎の体中を駆け巡った。
どくん、と自分の心臓が跳ね上がる。

嫌だ!
嫌だ!
嫌だ!

男の手が陽炎の襟を引き開けた。
白く透き通るその肌は、皮肉にもいつも異常に美しさを際立たせていた。
男の鼻息が首に触る。
陽炎の目に溜まっていた大粒の涙が、頬に伝い、筋を描いた。
さわるな!汚い!
顔を思い切り背けた陽炎だったが、男は容赦なく首筋に生ぬるい線を残す。
「おい、早くしろよ」
少し離れた所から舐めるように見ていた男が急かすように声を掛ける。
目の前の男が、わかってるよ!と腹を立てた様子で一瞥した。
「陽炎が怖がっちゃいけねぇと思って優しくしてたんじゃねぇか」
なぁ?と薄気味悪い顔で問われるが陽炎はガタガタ震えるばかりだ。
男がふん、と鼻を鳴らし先ほどとは別人のように目の色を光らせ
乱暴に陽炎の足を割りいった。
「・・や、・・」
「何だ?」
陽炎の形の良い口から呟くように漏れた。
「嫌ぁあぁぁぁぁぁぁっ!!!」
栓を切ったように陽炎が荒々しく声をあげた。
焦ったように男たちは陽炎の口を塞ごうと駆け寄ってきた。
「黙れ・・・!」
「いやああああぁぁぁぁぁぁ!!!」
声が枯れる程叫んだ。
声など如何でもいい。誰か、誰でもいい。助けて・・・!!
陽炎は痛む両の手を構う事なく大きく体を揺らし、男たちの手を振り払った。
しかし、その反動で華奢な体ごと地面に倒れ、鈍い痛みが走った。
「脅かすような事すんじゃねぇ!おとなしくしてりゃ痛くしねぇよ!」
男の物凄い力が陽炎の頭を押さえつけた。
口の中に血の味と涙の味が混ざって更に不快感を高まらせた。
もう、駄目だ。
陽炎が選んだのは屈辱よりも気高い死。
自分の舌を思い切り噛み切ろうとした____

「があっ・・・!!」
痛みより先に頭が軽くなったのを感じた。
押さえつけられていた男の手の重みは全くない。
それどころか密着していた時とは違う涼やかな風を感じた。
陽炎が頭をあげるより先に
「大丈夫か?」
聞き慣れない若い男の声がした。
しかし、陽炎はその男を確認する前に、再度意識を手放した。